由里りんのぷらいべ~となお時間

白石由里が、たびてつの記録、ヲタの記録、その他ぷらいべ~と(笑)な出来事をいろいろと語るブログ♪

入試小論文の思い出

結果論ですが、私は結構、論文試験のおかげで、いろいろ人生の重要ポイントを切り抜けてきた方の人間だと思っております。
大学での各種の試験とかレポート課題では、小論文を多数書かされますし、言うまでも無く卒業論文というものもあります。
また就職試験でも、小論文を課されたりもします。
そんなうちの一つで、大学入試でも小論文の試験があり、その試験を切り抜けたからこそ、結果的に今の自分があるわけだったりします。

入試に関する小論文っていうと、推薦入試とかAO入試などを連想される方も多いでしょう。しかし私の場合はあくまで一般入試です。一般入試でも小論文がある場合でした。
私は、普通に一般入試で大学受験を狙っていたわけで、滑り止めやら、複数日程やら検討したわけです。志望大学や学部の絞り込みと、それに伴う入試科目およびスケジュールの検討をしたわけですが……なんと、その中に、志望大学・学部において小論文が課されている日程がありました。

ただでさえ、センター試験やら、一般入試科目やらで、いわゆる普通科の教科の勉強がある中で、さらに小論文というのも、なかなかに気が重いものです。でも、避けて通るわけにもいかないでしょう。かつてお世話になった先輩の一人が参考書マニアみたいな方で、何冊もの中古の参考書をお下がりでいただいたものでした。その中に、小論文の参考書があったので、それをぼちぼち読もうと思いました。

先輩からいただいたこの小論文の参考書は、河合塾から出版されたものでした。その参考書の冒頭には「小論文において重要なことは、出題者の意図を了解することである。」といった意味のことが書いてありました。出題者がわざわざ受験生に「小論文」などというお互いに手間のかかる入試問題を課すことにより、いったい受験生の何をみるつもりなのか……との意図を読み取り、それに応えられる回答を作成することが大事なのだろうと、私は解釈しました。……そう、小論文って、出題者側にとっても、大きな負担なのですよ。採点の客観性もどう担保しながら合否を決定するかが悩みどころでしょうし…。

さて、小論文をどうしようか、少しため息をついていたところに、ちょっとした朗報です。学校で小論文対策を特設してくれるということで、募集がかかりました。課外授業的な講座の開講と、生徒毎に指導教員をつけてくださるようです。これには迷わず申し込みました。

ただ、そのために、心配性な担任(※数学教師です)からはちょっと心配されまして、呼び出しをくらって臨時面談をされました。私が志望校の一つとして記していた某大学・学部では小論文が無かったことと、私が本命としていた志望大学・学部でも一番メインな日程では小論文が無く、いわゆる後期のサブ日程のみに小論文が課されていたことから、「本当に大丈夫か?」と担任から再三念を押されたものでした(※なお、その日程で課される科目は、小論文だけではなく、数学などの一般的な科目も必須でした。)。

当時は、随分と大げさに心配されたものだなあ……と、当惑したものでした。しかし、後述のように、小論文対策に下手に足を踏み入れることは実はとても危険でもあり、担任はそのことをかなり心配していたのだと思います。なお、面倒見の良いこの担任には、数学のわからないところを放課後しょっちゅう教えてもらいに行ってまして、大変お世話になりました。そして、今も年賀状をやり取りしております。この先生と出会えたのは私にとっていろんな意味で感謝です。この場を借りて御礼を申し上げます。ありがとうございました!!!

さて、学校での小論文講座は、自分にとっては息抜き的に興味深いものでした。文章を書くということはどのようなことなのかを、あらためて体系的に教わった気がします。先生が配ったプリントの中に「本当に小論文対策を始めるべきか、いつ始めるか、正しく判断すること」ということが書いてありました。小論文は、一般入試とは違った性質をもっていますし、かなり特殊な技能を要求されます。そのために、対策を間違うと、取り返しのつかないことになりかねません。それゆえの先生方からの警告でした。担任がやたらに私を心配したのも、当然と言えば当然でしょう。

さて、私のもとには、小論文講座担当の先生のお一人である某先生から、私宛ての個別のメッセージとプリントが届きました。それは、志望大学の過去問であり、夏休みあたりに一回過去問に取り組んでみること……といった助言が書いてありました。その一方で、生徒毎の個別指導教員も決まりまして、私の担当は国語科のA先生でした。A先生にはちょうど古典の授業でお世話になっており、それなりに知っている先生でした。真面目で温厚な先生でしたので、無難な先生に担当が決まったことにほっとしたものです。

A先生に挨拶に行きましたが、A先生も私の担任ほどでは無いにせよ、「大丈夫か?」的な感じの空気で私を見ました。本来ならば、私にとっては国語の担当教員のお一人であり、そのお立場からは、小論文よりも国語をはじめとした本来の入試科目をしっかりやれと言いたかったわけですね。

そんなわけで、A先生からは、とにかく今は慌てなくていいから、後になってからにせよ的なことを言われました。

そんなこともあり、本格的な小論文対策はぼちぼちということにしました。実際には、秋頃から、A先生と徐々に少しずつ相談しました。そして、あくまで本来の入試科目の支障とならぬよう注意しながら、何度か小論文の問題にチャレンジして、添削していただくことにしました。

小論文模試があったので、息抜きも兼ねて一旦受験しました。それなりに好調な講評も戻って来て、少し自信を深めました。

その後、志望大学の問題ジャンルに関係のある小論文問題をとりあげ、答案を実際に原稿用紙に書き、A先生に個別添削してもらいました。先生の立場からは、容赦なく赤ペンが入って来ます。当時A先生から書かれたコメントの中で、印象的だったのは、一般論に終始しているから具体的事例も記述して説得力を高めろという感じの内容でした。実はこれ、社会人になった後に、某通信教育で同様のコメントをレポート講評でもらったことがあるんです。私の文章は、どうやら概括することが得意らしい反面、具体事例に踏みこまずに書くクセがあるようです。当時それを見抜かれていたA先生には、ただただ感服であります。

A先生的には、できればこの小論文指導が、良い意味で「無駄」になるよう願っておられたことでしょう。オーソドックスな入試科目の一般受験で受かる方が、一般的にはやりやすいわけですし、A先生としても自分が教えた古典の授業を私に活かしてもらいたかったはずです。

……でも、結局、この小論文指導が、皮肉なことに私にとっては結果的に「合格のもと」になったわけでした(爆)。結果的に志望大学・学部に受かったわけですし、A先生にも直にご報告に行ったわけですが……A先生の「おめでとう」の笑顔には苦笑いも含まれていたのは気のせいでしょうか? いや、A先生だけではなく、担任の表情にもそういう感じが…だいぶ先生方には心配をかけていたようです。まあ、私だって、小論文なんてできれば書きたくなかったです。でも、小論文を書いたおかげで今の自分があるわけです。ある意味、文章を書くことに対する変な自信を深めてしまいました。大学入学後、試験やレポートの論述が苦では無かったのは、この「成功体験」が変に作用したのもありそうです。

……さて、こうして考えると、私はA先生から、かなり丁寧に個別指導をいただいたのだと思います。ただただ、感謝するばかりです。私はわりと先生の懐に入りこんで数学や化学などを中心に放課後に質問に行くようなことをやっていましたし、上述のとおり担任にはかなり数学の質問に行ったわけでした。A先生には小論文を中心に個別指導をいただいたわけですが、それをきっかけに、古典の問題集のわからないところとか、質問なんかもするようになったように思います。もっとも、古文とか漢文とか、本来あんまり好きじゃ無かったためか、大学に入ったら途端に忘れちゃいましたよ。一般教養の授業で漢文の授業とかとってみましたが、もはやわけわからなくなって、試験を放棄しちゃいましたし…。そういった点は、A先生に申し訳無い気持ちです。

ところで、先日書いたとおり、今年の大河ドラマ『光る君へ』を観ておりまして、奇しくも古典の世界にある意味触れる機会となりそうです。A先生には『枕草子』や『源氏物語』を授業で教わったわけですので、あらためてその魅力に触れることができればと思っております。