由里りんのぷらいべ~となお時間

白石由里が、たびてつの記録、ヲタの記録、その他ぷらいべ~と(笑)な出来事をいろいろと語るブログ♪

いわゆる鬼仏表について

入学時期ですね。コロナ禍ゆえに授業がオンラインの状況が一部であるなど、何かと不安が多いですが、特に大学新入生の皆様は「学ぶ」ことの本当の楽しさが見いだせると良いですね。

大学の中には、いわゆる「鬼仏表」なるものが存在している大学があります。単位を容易にくれる先生を「仏」、単位認定の厳しい先生を「鬼」として評価しているものです。念のため言っておくと、このようなものは当然ながら大学が公式に発表しているものではなく、学生有志が勝手にやっているものです。昔から大学という世界には存在しているものですが、ネット全盛の現在は、ネットで鬼仏表を有志が発表していたりします。かつては有志が冊子を作って新入生に売ったり配付したりしていたものですが、いまでもそんな冊子ってあるのでしょうかね?

さて、鬼仏表は、どのように活用するのがいいのでしょうか?

まず始めに注意しておくべきは、鬼仏表はあくまで学生有志が作っているというものです。したがって「鬼」や「仏」の評価は、作製した学生の主観(個人的感情も当然含まれる)に基づいております。この点に注意しないと「仏」とされていた先生が実は厳しかったとか、その逆の場合だとか、そういうことが当然起こります。また、鬼仏表を何らかの手段で入手する先生も当然いるわけでして、「仏」と評された先生が「私は甘く見られているのか?」と思った結果、次年度には「鬼」に変貌する…などという事態も当然あります。

…って、よくよく考えたら、そんなものは当たり前であり、鬼仏表を何の疑問も無しに信じ切っている馬鹿な学生が、まさか日本の大学にはいないことを信じております。

ただし、鬼仏表がそれでは全然役立たないかといえば、そんなこともないでしょう。無条件で信じるのは論外にしても、ある程度の参考になる可能性はあります。

鬼仏表は、単位の取りやすさが評定されているものですが、それだけではありません。多くの場合、鬼仏表には、その先生を評するコメントが添えられていることがあります。もちろん無条件で信じることは危険ですが、授業が面白いとか、人柄が親切であるとか、そういった評判は鬼仏表に当然反映されてきます。そのような情報を、鬼仏表からは読み取るべきなのです。授業が面白く、かつ「仏」であるならば、絶対にその先生の授業は受ける価値が高いでしょう。逆に授業がドつまらなくてかつ「鬼」ならば、絶対に避けるべきでしょう。鬼仏表に「授業は面白い」と書かれている先生の授業は、大抵は本当に面白い場合が多いですね。

授業選択の際には、鬼仏表だけではなく、先輩のコメントなど複数の口コミも当然ながら重要です。また、過去の鬼仏表はどうだったか、別の有志が作製した鬼仏表はどうかなど複数の鬼仏表を参考にすることも重要でしょう。ちなみに、念のために言っておくと、授業選択って当然ながら、実際には大学の教育課程に従わなくてはなりません。仮に「鬼」で「ドつまらない」先生であっても、必修科目だったら絶対に避けられないわけです。ですから、鬼仏表なんて、そもそも当てにしてはいけません(笑)。

私が大学生だった頃、何名かの友人との話の中で、「語学は“やや鬼”くらいが一番妥当だろう」との結論に至りました。語学って勉強が面倒なうえに、特に英語は多くの大学では必修ですから、とにかく単位を取れることが大切です。「鬼」の授業なんかを取らされた日には、学生生活にいろいろな意味で支障を来たします(笑)。だからといって「仏」がいいかというと、それでは語学の力にはなりません。力にならなかったら授業を受ける意味は無いでしょう。授業内容にも学生側の心境にも、一定の緊張感が必要でしょう。そう考えると「やや鬼」から「並(※鬼でも仏でも無い中間程度の意味)」くらいの先生が妥当との結論になります。

私が大学2年の時の英語の先生の一人が「やや鬼」と評された先生でした。授業では毎回宿題を課されたりと、決して楽では無かったです。かといって、凄くキツいわけでも無かったのも事実でした。やや気難しい先生でしたけど、学生に対しては明確に単位認定の方針を示してくれており「悪いようにはしない。」と仰っていたので、その点では安心でした。「ただし、決して甘く見るなよ。」と若干厳しめの口調で言い添えてはおられましたが、だからこそ説得力は抜群でしたね。単位認定についての変な意味での心配なしに、安心して授業を受けられました。私は「B」評価をいただきました。もっとも、その先生の授業を受けて私の語学力がアップしたかといえば、そうでも無いわけでして……それは先生のせいではなく、私のその後の心構えの問題だったりするわけです(苦笑)。

そんなわけで、あらためてまとめますと、大学の授業選択は、鬼仏表やその他の情報を総合し、授業内容や人柄の評判が良い先生を見極めて選ぶべきでしょう。「鬼仏」の程度については、一般教養ではあくまで授業内容の良し悪し等で選ぶべきであって、あまり当てにしない方がいいとは思います。ただし語学ならば「並」か「やや鬼」程度の先生をしっかり見極めたうえで選んだ方がよいかと思います。「仏」や「ド仏」では下手すると自分が怠惰化します。一方「鬼」や、まして「ド鬼」なんて先生は、人格的に問題がある先生という危険性の場合も考えられ(※あくまで由里りんの個人的意見です)、絶対に選ぶべきではありません。