由里りんのぷらいべ~となお時間

白石由里が、たびてつの記録、ヲタの記録、その他ぷらいべ~と(笑)な出来事をいろいろと語るブログ♪

ひょうか

以下は、いわゆるぼやき記事です。批判的内容です(苦笑)。
しかも、クソまじめです(苦笑)。
そういうのが嫌いな方は、以下を読むのをご遠慮くださいましー☆

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2011年10月29日以来、1日も休まずブログ毎日更新を行ってきましたが、毎日更新500日目にあたる日が本日…すなわち「3・11」であるとは、決して狙ったわけではありません。ただ、偶然とはいえその日が本日であることに、ある種の運命的なものを感じざるを得ません。だからこそ、また、私にとっては叔父の3回忌たる「3・11」の本日だからこそ、書くべきことがあると思い、以下を記したいと思います。

また、この偶然にしては運命的な500日目という節目をもって、ブログの毎日更新をいったんストップします。ゆえに明日(3/12)はわざとブログを更新しません。というわけで、明日付の記事が無いからといって、ご心配なく☆(笑)

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2年前の震災のあと、全国から支援者が現れた。自衛隊、警察、消防などの公的な立場の方、ビジネスとして支援に来た方、ボランティアの方など、お立場は様々だ。そして、様々な形で我々被災地にご支援をいただいた。形態はどうあれ、そのことにまず感謝したい。ありがとうございました。

しかし! ここで一つ、被災地支援に直接・間接に携わったすべての方には、このような言葉を今一度唱え、自分に問いかけ、顧みてほしい。

「ありがた迷惑」
「おせっかい」
「余計なお世話」

被災地に住む立場からこのような言葉を出すと、感情的になって「何様のつもりだ?」とか「せっかく助けようとしてやっているのに!」などと怒り出す人がいる。そのように怒る時点で、既に被災地の人間を見下した上から目線の傲慢な態度だと、果たして気付いているのだろうか?

私は、本当の被災地支援とは「現地(被災地)の邪魔をしない」ことだと思っている。支援を要する点について必要にして十分な支援さえ為されれば結構なのであって、余計なことは決してしてはならない。よかれと思ってやったことが、実は現地にとっては余計で邪魔で迷惑ですらあるという事例は、少なくとも神戸の震災以降の事例以来、枚挙にいとまが無い。

純粋に善意からよかれと思ってやったというのなら、まだ許せないこともない。許せないのは、自分の利益のために専ら被災地支援活動を都合良く利用する者たちだ。

あるエピソードを紹介したい。一応、フィクションだと思っていただいて差し支えない(笑)。

遠い西日本の某地から、被災地支援のために人材が派遣された。しかし、その派遣のされ方があまりにも自分勝手だった。率直に言えば、被災地側が要請していないのに、勝手に被災地に入りこんで、現地関係者とは何の連携も無しに避難所での支援活動を開始したのだ。これには、現地担当者が困り果てた。悩んだ末に現地担当側は、その西日本某地からの部隊と活動を合流させて支援活動を試みる。しかし、正直言って人員余剰だった。そこで、雑用的な役回りをわざわざ「作ったうえ」で動いてもらったのだが……その西日本某地のお偉方は「もっとうちの部隊を活動させてやってほしい」との要請を出したのだった。

これはとんでもない本末転倒な話である。そもそも彼らの仕事は、ハッキリ言って既に実は無いのだ。遠くから(それも西日本から)来てもらって悪いなあという罪悪感もあったので(※このように現地側に気を遣わせる時点ですでに被災地支援の失敗事例である)、わざわざ仕事を「作った」わけである。つまり、ただでさえ忙しいこの惨事の時に、現地側の余計な仕事を増やさせたわけである。これでは何のための支援かわからない。

結局、時間がたてば、避難所も縮小していくし、現地事情も落ち着いてくるわけなので、支援の仕事は少なくなる。すでに西日本某地から来た部隊の仕事は無い。現地側担当者は、「もう必要なくなったので結構です。今までありがとうございました。」との丁寧な申し入れを西日本某地側に行った。すると、その西日本某地のお偉方は、真っ赤になって怒りだしたというのだ。「せっかく協力してやっているのに、その対応は何だ?」と。だが、現地側には彼らの望む仕事は無い。

困り果てた現地側は、「自分達の地元は、これまでのご尽力のおかげでもう間に合っているから、未だ人員不足な三陸沿岸部に手を貸してやって欲しい」と提案した。すると、やはりその西日本某地のお偉方は怒ってこう言ったらしい。「そんな不便な場所に行かせられるか!」と。

また、現地側担当者は当然こんな提案も行っている。「だったら、本来業務では無いので恐縮だが、未だ残っているがれき処理などの作業人員になってはくれまいか?」と。もちろん、この提案に対しても、西日本某地のお偉方から怒りの声が飛んできたことは言うまでもない。

…皆様はこれを読んでどう思うだろう? 要するにその西日本某地のお偉方の思惑は、自分達の望む形・分野にて支援活動を行い、その支援活動実績を自分達の実績として誇示し、自分達の地元で災害が起きた際のヒントを得たい……という、専ら自分達の利益のためだけに部隊を派遣したのだ。しかも、面倒で不便な三陸沿岸での支援はゴメンだというのだ。面倒で不便な地域だからこそ、本当に支援の手が必要だというのに!!! 一体何のために彼らは来たのか??? これでは、子どものボランティア体験学習と同レベル…いや、それ未満ではないか!!!(笑)

念のために言っておくと、実際に来てくれた部隊の方々は、純粋に彼らなりの使命感をもって来ていたし、誠実に仕事をしてくれた。おそらく、本来の目的外であるがれきの処理でも何でも、頼めばきっとやってくれただろう。しかし、部隊を派遣したお偉方側は、実に利己的でしかなかった。「ありがた迷惑」意外の何物でもない!

本当の支援者の態度というものは、私は「必要があれば何でもするからいつでも呼んでくれ。待っている。必要無かったら遠慮無く“要らない”と言ってくれて構わない。再度必要になった場合はさらに声掛けを待っている。」という、良い意味での「待ちの態度」であろう。少なくとも私は、神戸や新潟での経験から、そのように学んできた。そして実際、今回の震災で神戸から来てくださった部隊は、自分達が16年前に経験したことを踏まえて、現地の人間に如何に気を遣わせないかということに細心の注意を払っていた。(※それでも神戸側としては反省点が多々あったと仰っていた。さすがである。)

「支援者」というものは、実は「行くだけで現地の人間に気を遣わせる存在」なのである。もちろん、人手が来るのはありがたい。しかし一方では現地の人間にとっては、「せっかくはるばる来て助けてくださる方々」に対する大きな気遣いを強いられるのが現実なのだ。支援に行く人間は、このことを肝に銘じて現地に赴かねばならない。全ての支援者は「余計な気遣いはいらない。俺たちが邪魔ならいつでも撤収するから言ってくれ。」と自ら示し、「本当に必要な場合のみ自分達を現地の都合に良くいつでも使ってくれ!」と言わなくてはならないのだ。

このようなことを、今回の震災の被災地側の人間が言うと、前述のように上から目線で怒りだして非難する人間が必ずいる。できればそれこそ、神戸や新潟の方に言っていただくと良いのだろうけど……。

しかし、そういう大人げない人間の非難や評価をおそれて被災地側の人間が口を閉ざしては、決して今回の震災からの教訓はもたらされないだろう。被災地側の人間だからこそ、敢えて声高に叫ばなければいけないことがある。それをやめたとき、被災地の人間の誇りは失われるだろう。誇りを失えば、我々はすでに死んでいる… (c)ケンシロウさん

それではいけないと思う。だから私はここで叫ぶ!!!

「奥ゆかしくて我慢強い東北人」などという勝手なイメージは誰が作ったのだろう? 東北人であろうとも……いや、東北人だからこそ、私は叫ぶ。我慢なんかいらない。我慢強く無くていい。嫌な時に嫌と言える東北人たれ! 弱音を表明できる東北人たれ! 政府の勝手なキャッチコピーに誘導されて「頑張ろう」なんていう必要はない!!! 時にはへこたれても良いではないか!!! そして、迷惑な人間に対しては「帰れ!」と声高に言える東北人たれ! 東電の原発事故による汚染された土は、福島ではなく東電管内の地域に一時保管すべきだと思うのは決して私だけではあるまい。東北人よ、我慢するな! 我慢しない東北人になろう! 頑張れない時があっても良いではないか!!! 声高に自己主張し叫ぼうではないか!!! その時こそ、東北人の「頑張り」に関して真に妥当な評価がなされるだろう。