由里りんのぷらいべ~となお時間

白石由里が、たびてつの記録、ヲタの記録、その他ぷらいべ~と(笑)な出来事をいろいろと語るブログ♪

友に感謝を…

先日、ネット仲間である友人が亡くなりました。
以下、そのことについて少し記したいと思います…。
一昨年に癌が発覚し、その後闘病生活を送っていたTさんが、19日に亡くなられました。
私より3歳ほど若いTさんの訃報は、あまりにも衝撃でした。

2年前に、Dさんの墓参旅行のすぐ後、Tさんの病気が発覚し、以後、入退院を繰り返して治療を頑張っておられました。その闘病のご様子の一部は、彼自身がネットに記していたので、ご存知の方もいるかと思います。それについては私からはくどくどと語りません。ただ、某所でKさんが書いておられるとおり、Tさんは本当に治療を頑張っていました。しかし、その頑張りもむなしく、Tさんは天国へ旅立ちました…。

昨年10月、東京でイベントを開催した時に、Tさんはやってきました。正直言うと、私は来させたくはありませんでした。無理せず養生すべきと思ったからです。生きていれば必ず会えるじゃないですか…。しかし、人懐こい彼は皆に会いたかったのでしょう。九州に住む彼はそう簡単に皆に会うことはできませんから、絶対に来たかったのだと思います。Tさんのそんな気持ちを推察すると、私はやめろとは言えませんでした。

結局東京へやってきたTさんに私達は会いました。痩せた彼の姿に私は内心ショックながらも、同時に再会できたことを嬉しく思いました。優しく子ども好きなTさんに、うちの息子も喜んでじゃれていました。

先日のブログに記載のとおり、私は6月に宮崎出張を予定しており、その際には何とかしてTさんに会いたいと思っていました。しかし、旅程面で厳しそうなため、2月の九州旅行の際に訪問を試みることにしました。ただ、1月から2月にかけてTさんの入院が長引いているのが引っかかっていました。結局、2月の訪問時には、Tさんは入院したままでした。入院中に行くべきか悩みに悩みましたが、せっかくのTさんに会う機会とも思い、私は病院へTさんを見舞いました。急遽連絡をとったKさんが、急遽合流してくれました。病室では、抗癌剤の副作用でぐったりとしたTさんがいました。無理をさせてしまったのではないか、来るべきではなかったのではないか…私は内心戸惑いました。そんな私達の戸惑いをもしかしたら感じたのかもしれません。Tさんは、できる限りの笑顔で私達と会ってくれました。20分ほどで私達は去りました。「じゃ、また来るから」と私は笑って声をかけて病室を後にしました。きっとまた会える…そう信じていたのですが…。

その後も私達は、時々携帯メールをやり取りしました。入院したり退院したり…。どうも入院の方が長いような気がする…。嫌な予感が浮かぶたび、私はそれを必死で打ち消しました。ただ私は、メールに「じっくり治してください」といつも書きつづけました。Kさんが某所で書いておられますが「頑張れ」とは言えませんでした。2月のお見舞いのあと、Kさんとは「頑張れとか早く治せなんてなんて言えない…焦らずじっくり治してねってしか言えないよ」という意味の会話をした記憶があります。本当は「早く治るといいね」って書きたかった。でも、それは頑張っているTさんには言えない。私はただただ「じっくり治してください」とだけ言い続けました。

宮崎出張に際しては、散々Tさんのもとへ行くべきかどうか悩みました。宮崎からTさんのもとへは交通が不便でかなり遠い…。しかし、無理をして行くのは何か違う気がしました。無理して焦って行くなんて、縁起でもないような気がしました。少々私はナーバスになっていたかもしれません。「今無理して行かなくても、そのうちまた絶対に会える。会いに行けばいい」と、私は無理やり前向きに考えました。それでも、宮崎滞在中ですら悩みました。その後すぐに、彼との別れが来るとは思いもよりませんでした。結局、2月のお見舞いが、Tさんにあった最後となってしまったのです…。

私は、6/15にTさんにいつものようにメールを打ちました。しかし、18日に送信メールエラーの知らせが来ました。嫌な予感がしました。しかし、私はそれを無理やり打ち消して、メールを再送しました。そのメールに返信が来ることは結局ありませんでした。

21日に出勤し職場のメールを開いたとき、Tさんの彼女さんから彼の訃報を伝えるメールが届いていました…。3年前にTさんにお会いした時に、一度だけ彼女さんにお会いしました。その時何気にお渡しした私の名刺を頼りに、彼女さんはメールをくださったのでした。

宮崎出張時に、万難を排して会っておくべきだったのか…? 私は激しい後悔に襲われました。しかし、すぐ冷静に考えました。亡くなる10日前、きっとTさんは私に会うどころの話ではなかったはず…。痛みと闘い頑張っていたはずです…。でも、宮崎へ行くことはそれとなく伝えておりました。やはり会うべきだったのか…? 今となってはどちらが良かったのかはわかりません。ただ、大きな後悔として私には残りました。人懐こく、皆とのオフ会を楽しみにしていたTさん…。私でも誰でも、もしかしたら会いたかったかもしれない…。そう考えると、結果論はさておいて、私にはやはり大きな後悔となりました…。

病気を治して元気になって欲しかった…!
残念です。悔しいです。なぜ私より若いTさんがこんなに早く逝かなければならないのでしょうか?
また一緒にラーメンを食べに行ったり、電車に乗りに行ったり…Tさんが晴れて回復した日に備えて、楽しい計画を考えていました。でも、実現できなくなってしまいました…。

Tさん…誠にお疲れ様でした。ご冥福をお祈り申し上げます。
今はゆっくり休んでください。どうか安らかに…。
そして、今まで多くの思い出をありがとう。地理的事情からオフラインではあまり会えなかったけど、会う度に楽しかった!
本当にありがとう!
またいつか、必ずTさんに会いに九州へ行きます。
そして、Tさんとの思い出を胸に、あの納豆ラーメンを食べたいと思っています。